about us

かつて日本には古くから「おお麻」を使用する文化があり、その歴史は数千年以上続いてきました。
おお麻(ヘンプ)は古くから人々に使われてきた素材です。
特に日当たりと水はけの良い静岡では、弥生時代の遺跡から「おお麻」の布片が分解されずに出土し、かつては高品質な麻が栽培され、利用されていたことを物語っています。

『根麻ねお』が目指すこと


静岡産の麻を育て、製品の企画、生産、販売をとおして、社会へ貢献すること。

コンセプト


“ヘンプのあるやさしいくらし”
日々のくらしにお役に立つ、ヘンプ製品をおとどけします。

知らないことだらけ!「麻の話」

「日本の麻は高級過ぎて使えない!!」

もともと麻織物は庶民のもの

麻の着物といえば最高級の織物としてあこがれを抱く女性は多く、いつか夏に麻の着物や帯をサラッと着て、日傘と真っ白な麻の足袋で涼しげに歩いてみたいと夢見たりしているのでは? しかし最近は、ハンカチやタオルという日用品にいたるまで麻製品が復活しつつある。天然素材の中でも吸湿性、吸水性に優れ、殺菌効果も高い麻は、もっとも日本の風土に合った繊維だからだ。

じつは終戦まで、麻は日本各地のいたるところで栽培され、庶民の衣食住を支える、稲に次いで欠かせぬ作物だった。 それが、こんなに稀少な高級品となってしまったのは、戦後、栽培が禁止されたからだ。

意外と知らないのが、日本の麻は「大麻」という植物で、それは「たいま」と呼ばれ、麻薬の大麻、つまりマリファナがとれる植物だということ。だから戦後、栽培が禁止されてしまったのだ。

繊維用と麻薬用ではまるで違う

日本ではおもに、大麻の茎部分の皮を剥がして繊維にし、布だけでなく紙、畳、壁材など生活全般に利用してきた。

また、お盆のとき〝おはしぎ(お箸木)〟と呼び牛や馬の足にしたりお霊供膳のお箸にしたりした、あの懐かしい「おがら」は、皮をむいた後の大麻の芯を乾燥させたものだ。七味唐辛子に入っている、あの黒くて丸い粒は大麻のタネ。鳥の餌の中に入っているのも見たことがあるだろう。

では、マリファナは大麻のどこを使って作るのか。麻薬成分であるTHCという物質は花の雌しべに含まれる。葉を煙草のように巻いて吸う人たちもいる。

戦後の栽培禁止にあたり、野州麻の産地として知られた栃木県だけが大麻の栽培を許された。その後、栃木県農業試験場は「産業用大麻」というTHC成分のない大麻を育種した。これならマリファナは精製できない。

「麻ってリネンやケナフとは違うの?」

植物としてはまったく違う種類の麻たち

一口に麻といっても、世界中にはさまざまな麻織物の原料がある。

ヨーロッパ製の高級な麻というイメージで日本人女性に人気の高いリネン。日本では「亜麻」と呼ばれるアマ科の一年草だ。よく「からむし」と呼ばれるのが「苧麻」というイラクサ科の多年草で英名を「ラミー」という。「黄麻」は英名の「ジュート」の名の方が知られているシナノキ科の一年草。「マニラ麻」は英名「アパカ」というバショウ科の一年草。「ケナフ」は日本名で洋麻と呼ばれるアオイ科の一年草だ。

そして日本の麻は「大麻」というアサ科の一年草で英名をヘンプという。マリファナになるTHCがなぜ大麻にだけ含まれるのかというと、植物としてはどの麻も科が違うまったく別の種類で大麻だけがアサ科だからである。いずれも茎から繊維をとって織るところから麻と総称されたのかもしれない。

麻織物は風通しがよく熱を逃がす性質があるため、夏の衣服や寝具にふさわしいとされるが、他方、繊維の中に空気を含むためサーモタット機能があり、冬は温かくて一年を通して使いこなせる。

使えば使うほど柔らかく心地よさ抜群の大麻

中でも日本の麻、大麻は、特に優れた性質をもつ繊維だ。

使いこなすほどに柔らかくなり、年を重ねた大麻はコットンのような肌ざわりになる。しかし洗いたては新品のように張りが戻るので、汗ばむ季節に袖を通すときの心地よさは抜群である。

また天然のUVカット機能も備えているので、紫外線から肌を守ってくれる。調湿作用に優れ、汗ばんでも肌に張りつかず、すぐに乾く上に、天然の抗菌性にも優れているため、汗による臭いなども軽減される。

高温多湿の日本にぴったりの麻は、戦前までは日本のいたるところで女性たちが栽培し、糸を紡ぎ、家族の衣類に仕立てたり、売って家計の足しにしていたと言われる。そんな、日本女性が長い時を経て育んできた伝統文化が、戦後のわずか70年で単なる麻薬としてしか扱われない存在になってしまったのだから悲しい。

「なぜ国産の麻がないの?」

万が一の危険回避で栽培を禁止

日本でただ一県、栽培が許された栃木県は、マリファナにはならない産業用大麻を育種したにもかかわらず、そのタネを勝手に他県へ譲ることを禁じられている。

植物は、交配を重ねて新品種をつくっても何世代か続くと〝先祖がえり〟といって、交配前の原種に戻ってしまうことがある。栃木県外に譲ったタネがしっかり管理されていないと、やがて先祖がえりでTHC成分のあるタネが生まれてしまうかもしれない、そのわずかな危険を100%排除するための予防措置なのだ。

そして、産業用大麻のタネを使って繊維をとる目的だけで栽培をしようと思っても、盗まれる危険を100%排除するために、ほとんど認可されることはない。これも、たとえば大麻畑から盗んだ葉を挿し木して育て、万が一でも先祖がえりしてマリファナができるようなことがあってはならないという予防措置なのである。

こうした厳しい認可制度と繊維産業の衰退で、いつしか麻栽培は日本から消えてしまったのだ。

消費者の意識が高まれば危険回避はできる

いま、中国製の食品に不安を抱く人は多い。しかし中国への依存度が高い繊維産業も似たような状況だ。布だって直接肌に触れるものだから、できることなら国内産を使いたい。

とくに日本古来の優れた繊維である麻は、これから海外にアピールできる産物にもなれるのだから、少なくとも日本人なら国内産の麻を身につけたいものだ。自分が暮らす地域で、目に見える畑で、目に見える農業で栽培された麻を身につける。戦前までごく当たり前だった暮らしを、なぜ取り戻せないのだろうか。

たしかにドラッグの乱用は防ぎたい。しかしマリファナにならない麻の栽培まで禁じることが果たして歯止めになるのだろうか。

それよりも、なるべく多くの消費者が地元産の麻栽培を見て、産業用大麻という品種への理解を深めることの方が効果的なのではないだろうか。なぜなら、日本人の暮らしを支えてきた大麻という畑の作物は優れた繊維をとるためのもので、決してマリファナをつくるものにしてはいけない、という意識が浸透しやすいからだ。

静岡に麻栽培チーム〝峰静里(みねしずり)〟登場

とんじゃかなくて、かなり新しモン好き
清沢に峰静里のメンバーを訪ねる

ルポ:峰静里事務局 平野斗紀子(Tamara Press)

最近、新東名が開通し静岡サービスエリアのスマートICができたことで、藁科川筋のドライブがとても便利になった。そのうちの静岡市街地と川根筋を結ぶ国道362号沿いは、急峻な山道をくねくねと登るうちに深い森林を見下ろし雲にも届きそうな別世界に足を踏み入れてしまう絶景ラインだ。

そんな山の頂きで麻を栽培しようと挑戦している人たちがいる。大畑鐘寿さん、北沢勝磨さん、牧野輝一さん、牧野力雄さんの4人と根麻ねお(ねおねお)の山本絹子さん。7年前、静岡市峰山に店を構えた山本さんが、地区の人たち向けに〝大麻〟という植物と麻製品について勉強会を開いたことが始まりだった。

できることなら地元産の大麻を使ってみたいという山本さんの願いを聞き、茶栽培ならお手のもののメンバーが、牧場を経営する大畑さんの農地を利用して作ってみるか!ということになった。栽培チームは名付けて〝峰静里〟。峰山地区と麻の古代布〝しずり織〟をかけての命名だ。

しかし壁は厚かった。新しい作物への挑戦を手ぐすね引いて待っていても、肝心の栽培認可がとれないのだ。2014〜15年は日本全国を危険ドラッグのニュースがにぎわせたこともあって、審査はますます厳しくなってしまった。

しかし、厚い壁に阻まれながらも栽培はあきらめない。そんな〝チーム峰静里〟とはどんな人たちなのか、訪ねてみた。

仕事も暮らしも楽しんでいる人・・・大畑鐘寿さん(62)

大畑鐘寿さん(62)

以前、農業関係の仕事をしている知人から、杉尾の大畑牧場へ行ってほしい、こんな山の上に桃源郷があったのかと驚くから、と教えてもらったことがある。700m級の山のてっぺんに牧場があること自体が信じられないのに、牛舎を取り巻く山の斜面に梅林が広がり、たしかに花の季節は桃源郷かもしれないと思う。

牧場の主、大畑鐘寿さんは何でも自分でつくる人。丸太を使ったログハウスにベンチやテーブル。すべて手製で、この日も、息子さんと始めたソフトクリームの看板をつくっているところだった。

牧場を開いた大畑さんの父親は、牛に食べさせる牧草やトウモロコシなどを栽培するために山を開墾し、何箇所かに土地を所有した。その一つが、麻の栽培を計画している〝御前渡(みさきど)〟という約1町歩の土地だ。山の頂上というのに平地が広がり、天気のいい日は富士山も見える。

麻栽培の認可がとれずテンションが下がっているかと思いきや「今年はもう柵を造っちゃうよ。ソバだ何だ他に作りたいもんがあるし。盗難除けの柵は鳥獣害対策にもなるからね」。連作が可能な大麻栽培の特質を生かした発想だ。そして、認可が厳しいなら先に進めて待ってるよ、という姿勢。〝とんじゃかない〟と表現される静岡人らしいこだわらない大らかな人柄そのもので、うれしくなった。

神楽の師匠は新しモン好き・・・北沢勝磨さん(63)

北沢勝磨さん(63)

峰山がある清沢地区は県指定無形民俗文化財の「清沢神楽」でよく知られる。昭和52年に結成された「清沢神楽保存会」の現在の師匠を務めるのが北沢さんだ。

神楽の後半にある「大助の舞」はお爺さんの面をつけた人物が面白い台詞を言いながら観客を笑わせるむずかしい演目なのだが、北沢さんはこれを得意とする。しかもアドリブなのだとか。日頃の物静かで柔和な表情からは想像できない、観客の心をくすぐるイタズラゴコロをもつ人なのだろう。

山本さんの麻の話に最初に興味をもったのは北沢さんだった。そして山の仲間に呼び掛けてくれた。麻栽培の予定地〝御前渡〟は、山中には珍しく平地が広がる場所。その昔、その辺りにサムライが弓矢の稽古をした言い伝えもあったとか。郷土史に詳しい北沢さんが教えてくれた、落人伝説の多い土地柄らしい話だ。

峰山地区の中でも国道からかなり林の奥へ分け入ったところにある北沢さんのお宅は、私の運転ではとても無理とあきらめるほどの急坂を下りなければ玄関にたどり着けない。ここで暮らすのは、かなり山が好きでなければ無理だ。「何でも自分で作らなければならないところが好きですね」。つねに自然と向き合い、自然と対話しながら、黙々と作業をして暮らす日々。日本人が失いつつある、日本人がいちばん魅かれる生き方かもしれない。

最近、若い頃からの夢だった免許を取得して狩猟を始めた北沢さん。狩猟だけでなく獲物の解体や処理までこなす修業をしているという。

初めてなら試してみるのが開拓者精神・・・牧野力雄さん(61)

牧野力雄さん(61)

「今年は鳥獣除けの柵が出来るからソバを植えるよ」と張り切るのは、大畑さんや北沢さんたちの清沢とはヤが違う、藁科川上流部の大川地区、畑色という地区に住む牧野力雄さん。精力的に茶生産に取り組むがゆえ頼りにされたのか、清沢側に住む従兄弟の輝一さんに誘われてチーム峰静里に加わった。が、御前渡からは反対斜面を下りればすぐという、むしろいちばん近い人かもしれない。

大川地区では、栃沢に生家がある聖一国師の生誕八百年祭が2002年に行われたとき、麺の製法を中国からもたらした国師にちなんで「百年そばの会」が結成された。在来種である大間のソバを植えて増やし、毎年そばを打っている。

しかしソバ栽培はかなりむずかしく、収量の変動が大きい。気候の変化や微妙な栽培条件で、実が入らないこともしばしば。蒔いたタネより収穫したタネの方が少ないなんて事態は慣れっこのようだ。

その上に鳥獣害が重なる。実が入るとハトやカラスにやられ、熟した頃にイノシシやサルの群れにやられる。大麻の盗難除け用ならかなり頑丈だろうと、牧野さんは御前渡の柵に期待をかけているのだ。

麻についてはまったく知らないが、面白そうだと栽培を待つ。「うちのオヤジは地の人間じゃなく、いわゆる新規参入だもんで、初めての作物も敬遠しないでまずは試してみる、そういうの平気なんだよ。オレもそうなのは開拓民の血かなあ」。農業は守りに入らず開拓の精神がなければ発展しないという基本を教えられた。